■ VOICE ■

■ 弊社スタッフの声をお届けします 。


渾身を込めた番組作りを

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平岡 しおり
(ひらおかしおり)
所属:制作部 ディレクター



2010年07月23日

 ドキュメンタリーを制作したいと思い、大阪の制作会社を退職し、オルタスジャパンに入社して、はや半年が経ちました。

 テレビ制作は、どんなジャンルでも、とにかく、みんな、渾身をこめて作っています。

 そんな現場が大好きで、その渾身の想いがVTRに顕著にあらわれるところも面白くてこの仕事に打ち込んできました。

 ほんとうに、自分が「必死になってやれる仕事だ」と思います。

 でも、日々、悩んでいることもあります。

 それは、オルタスジャパンに入社して、さらに増しました。

 それは、企画が通らないということ。

 企画を通せば、自分で取材をして、カタチにすることができる。

 自分がきっかけを作って取り組む取材は、愛情もひとしお。

 カタチにしたいけれど、どうすれば、企画は通るのか、私には、1割も分かっていません。

 しかし、それをやってのける人たちが周りに沢山いるので、私も、試行錯誤しながら、とにかく書いていくしかないと思う今日このごろ。

 それと、私の心の中には、いつも、大阪で支えてくれたディレクターの先輩や応援して送り出してくれた先輩の方々の存在があります。

 これまで支えて頂いた方達への感謝は、私にとって、大きな支えとなっています。

 温かいスタッフに囲まれた中で、何の恩返しも出来ないまま、ドキュメンタリーを制作したいと東京に出てきた私は、自分がやりたかったことを貫く日が来るまで会わせる顔がないと思う日々。

 自分の意思と人への感謝を胸に、1日もはやく、自分が渾身を込めた番組が作れる日がくるまで、努力する。

 今の私は、それだけです。


 

初 心

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吉村 元徳
(よしむらげんとく)
所属:制作部 ディレクター



2010年05月19日

 入社して一ヶ月。

 このわずか800字足らずの文章をもってすら人を惹きつけることができないだろうに、60分なんて以てのほか、30秒の番組だって作れる兆しはない。

 くわえて、つい先頃までハンディカメラもまともに触ったことのない僕が、この欄を担当するという赤っ恥。

 そして、ディレクターをアシスタントすることすらできず、ディレクターにアシストされるアシスタント・ディレクターといった現状がこっ恥ずかしい。

 しかし、「恥をかくべきだ。恥こそ成長のチャンスではないか」と岡本太郎。

 わからないことが多すぎる。相手に話しかけるタイミングがわかっていない。

 どこに句読点を打ち、どこで改行すれば読み手に伝わりやすくなるかもわかっていない。

 そもそも何がわからないのかわかっていないと、ディレクターに見透かされてしまう始末。ワカラナイことに埋もれた僕が、もっとわからない人間や現象を撮ろうなんて図々しい話なのだと思う。が、以上の400字はあくまでも余興。

 なんといっても仕事が楽しい。先日伺ったバーテンダーのおはなし、めちゃくちゃ楽しかったなぁという過去形と。何だかわからないけれども今楽しいという現在形。

 そして、次は一体どんなわからないことに出会えるのかなという未来形の楽しみ。

 尚且つ、今後自分は一体どんな作品を作っていくのだろうかという、さらなる未来に向かう楽しみ。言うなれば、“楽しさ”のカルテット。

 ところで先日、四十年近く寿司を握ってきた江戸っ子職人にお会いした。

 親方いわく「わからないんですよ。毎日仕入れる魚は一尾一尾ちがう。基準がないから、何がベストなんだか正直わからないんです」。

 寿司を握り続ける原動力がここにある。と思いきや、

 「もちろん楽しいから、というのもありますね」と一言。

 なるほど。“わからない”と“楽しい”は隣接しているのだなとか、意味を履き違えているのを承知で共感してみたところで、途方もないこの文章の結びの論は・・・とにもかくにも、いまの僕には貪欲に学べる環境が存分にあるということだ。

 こんな僕を手取り足取り面倒を見てくれているディレクターへの恩は、誇れる仕事をして返していきたい。


 

制作者としてのパワーと生き様

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澤田 祥江
(さわたさちえ)
所属:制作部
  アシスタント プロデューサー



2010年05月11日

 このテレビ業界に入って、15年ほどが経つ。

 私は新卒でこの業界に入った訳ではない。

 「新劇」の劇団制作出身と言う「異色」の経歴を持っている。

 「どうして、テレビ業界に入ったの?」と良く聞かれる。

 その時、私はこう答える。

 「お金では得られない“人のパワーと財産”と“感動”を貰えるから…」

 確かに、給料や余暇を重視する人にとっては良い職場ではないだろう。

 でも、お金や余暇などは自分で頑張ればそんな欲求は満たされる。

 しかし「人との出会い」はお金ではけっして買えない。“人との出会い”は“一生の財産”になると私は思っている。

 普通の会社員で、ハリウッドスターと話せたり、総理大臣と話せたり…今、世界が、日本が注目している人物と関わりをもてるだろうか?この「マスコミ業界」でないとあり得ないであろう。

 こうした「人との出会い」は、「宝」であり「財産」となっている。

 オルタスジャパンは「ドキュメンタリー」を専門にテレビ番組の制作をしている。

 “ドキュメンタリー”と言うのは…“ドラマ”よりも“ドラマチック”だと思う。それは…嘘偽りがないその人の「生き様」がありのまま接する事が出来るから。

 この瞬間と出会えた時「この仕事をしていて良かった」と私は思う。

 テレビ業界も「不況」をもろに仰ぎ、デジタル放送に変わるのも近いと言う事で日々「進化」を遂げている。

 私も、ディレクターからプロデューサーと転身すべく修行をしている。しかし、ディレクターもプロデューサーも「制作者」である事には変わらない。

 よく「ディレクターが番組を作っている」「プロデューサーが偉い」と言う人もいるが私はそうは思わない。

 私たちは「テレビ制作のプロフェッショナル」だ。ディレクター、プロデューサーどちらが抜けても制作は出来ないと思う。

 この仕事で出会った人たちとの出会いを大切にしながら…

「人のパワー」を源に…

「澤田さんだから番組に出るよ」

 と言う関係を作り「私にしか作れない番組」「オルタスでしか作れない番組」に拘りながら、番組の制作に臨んでいきたいと思う。

 人に感動を与え… 自分も感動を得ながら…

 それが…私の「制作者」としての「生き様」となる為に…。


 

不思議体験

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岩谷 一
(いわやはじめ)
所属:制作部長 プロデューサー



2010年04月23日

 憑依現象・・・!?

 テレビの仕事を始めて25年ほどになる。その間、何度か不思議な体験をしている。まるで“天から何かが舞い降りた”と思えるような、自分でも信じられない能力を発揮したと感じることが、何度かあった。

 その体験のひとつは、もう5年くらい前の出来事だ。妖艶な姥桜の伝説を紹介するナレーションを書いているときだった。

 映像素材を見ているうちに老木の妖気に誘われたのか、編集室にいるにもかかわらず、風の音が聞こえてきて、周りが薄暗くなり、花弁が舞い始める・・・、(そんなことあるわけないが、)まるで自分が姥桜の下に立っているかのような気分になった。そして、普段は使わないような言葉が次々と湧き出てきたのだ。気付いたときには、いつの間にかナレーションを書き終えていた。

 きっと、その当時、いくつかの番組を掛け持ちしていたためか、睡眠不足の上、緊張感があり、大量の神経伝達物質が分泌されていたのだと思う。

 集中力も高まり、それまで記憶の奥深くに閉じ込められていた言葉が飛び出してきたのかもしれない。それは、かつて読んだ本のどこかに記されていた言葉や文章なのだろう。

 しかし、自分の脳の中では、妖艶な桜と相対峙していたのは確かだった。今も薄墨の花弁を満開に咲かせた桜を見ると身震いがする。(ただ、後に番組を見るとそれほど大したナレーションでもなく、自己陶酔だったのが残念・・・。)

 さて、この不思議な現象は、それ以後、起きていない。ディレクターからプロデューサーに職替えをしてしまったからだろうか。

 ただ、たとえ自己陶酔でも、あれほどの集中力をいつでも引き出せるようになれれば、仕事がもっと楽しくなるに違いない。


 

オルタスジャパンに入社して

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土井郁子
(どいいくこ)
所属:業務部 経理



2010年04月22日

「果実を食べる者は、少なくとも種子を植え付けるべきだ。」・・・ソローの言葉。

 私は今まで、まだまだ未熟者とはいえども様々な仕事をしてきた。

 幸か不幸か、何事もそこそこ器用にこなせてきた。

 努力が苦手で、いつも「そこそこ」で満足し、それなのに会社には自分に対して過大な評価を求めてきた様に思う。

「給料が安い」「もっと休みたい」etc・・・まさに種子など植える事なく果実を食べ散らかしてきた訳だ。

 約3年前、縁がありオルタスジャパンに入社。今まで携わった経験の全くない、経理の仕事に就いた。

 自分の得意分野ではない仕事を、今まで通り「そこそこ」気分ではとてもこなせず、入社当時は自信喪失、自分自身の能力のなさに嫌気がさした程だった。

 私は多分初めて本気で仕事に取り組み、「そこそこでいいや」とは決して思わなくなった。会社に対して「権利」を主張する前に、自分の果たすべき「義務」を考える様になれた。

 それはオルタスジャパンという会社が、未経験の私に対して仕事に取り組むスタンスに「自由」をくれたからだと思っている。

 自分で考え、自分で行動する、強要ではなく、成長の為の仕事であり続ける。オルタスジャパンへの貢献が、自分自身の成長に繋がる、今後もそんな仕事がしたい。


 

ドキュメンタリー番組を制作して

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和田健吾
(わだけんご)
所属:制作部 ディレクター



2010年04月22日

 テレビなんかなくても誰も死なない。誰も困らない。

 テレビ番組なんて所詮娯楽。笑えればいい。楽しければいい。

 だから、バラエティ番組やドラマのように、出演者も裏方も、 皆が同じ意図を持った作り手だけで、という状況で作っていればいい。

 それなのに、私たちは現実の社会に介入し、現実の人々を取材しなくてはいけないドキュメンタリー番組を作っている。

 時には取材対象者が、その人たちがいないと皆が困る、誰かが死ぬというような職業の人たちであったりもする。そこに、私たちが「単なる娯楽」と言われてもしょうがない物を作るために入り込むのだから、お互い大変だ。

 人の命や生活を守っている人たちに、その取材と、私の任務、どちらが優先だとつきつけられたら、どんなに小さくなってもまだ足りない。

 そんな状況にありながらも、私たちは取材を続け、さらには、相手が聞きたくないことにも質問を向け、相手が見せたくない面にもカメラを向ける。

 そうするのは、相手の想いや努力などを、彼を知らない多くの人たちにも伝えたいと思うからだ。

 とはいっても、現実を相手にしている。うまくいかないことが多い。

 時々、ゼロから自分の思い通りに作れる映画やドラマの方がいいのでは…と思う。

 しかし、いつも取材を終えると、あの時、取材相手が言った言葉、あの時の表情、あの出来事、どう頑張っても自分がゼロから作ることは不可能だったと思い、取材相手に感謝する。

 そして、取材相手にも喜んでもらえる、そんな番組を作りたい。


あなたがオルタスジャパンを目指した理由は?

 ドキュメンタリー番組を多く制作していたから


 

オルタスジャパンに入社して

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高橋絵美
(たかはしえみ)
所属:制作部 ディレクター



2009年04月22日

 4月1日からオルタスジャパンでの仕事が始まった。

 静まりかえった社内、たくさんの人が黙々とパソコンに向かい仕事をこなしていた。

 いったいこの人たちは何をやっているのだろう?私は、この会社でやっていけるのだろうか?疑問と不安が一気にこみあげた。

 入社して、3週間。そんな疑問と不安をいちいち気にしている余裕はなく、今は一日も早く企画を通さなければという焦りに変わっている。

 オルタスジャパンに入社して驚かされたのは、ドキュメンタリーを中心に幅広いジャンルの作品を数多く手がけていること。そして一人ひとりが番組に対する熱い思いを持っているということだ。

 この仕事は、自分の財産につながると私は思っている。人との出会いや経験、この仕事をやっていたからこそ、学べることがたくさんある。オルタスジャパンなら、今までにない経験がこれからたくさんできるとあってワクワクしている。

 しかし、その一方で、企画を通さなければという焦りは消えない。たぶんこの先も焦りと戦い続けるのだろう。

 戦い続けるとともに、小さなちいさな自分の器が日々大きくなっていくことを自分自身に望みたい。


あなたがオルタスジャパンを目指した理由は?

 以前はローカル局で番組制作を担当していました。地域の人と触れ合えることは魅力でしたが、もっと深い取材をしたいと思うようになり、ドキュメンタリー番組を制作するのが目標になっていました。

 お世話になっていた先輩に相談したところ、オルタスジャパンの名前があがったのがきっかけです。


 

アジアンスマイル奨励賞を受賞して

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和田萌
(わだもえ)
所属:制作部 ディレクター



2009年04月08日

 昨年カンボジア・トンレサップ湖で取材し、水上小学校の新米先生タヴィーと字が書けない少年の交流を描いた「タヴィーの学校は水の上」という作品が、NHK『アジアンスマイル』番組内の“アジアンスマイル奨励賞”をいただきました。思い入れの強い作品なだけに、とても嬉しく思います。

 トンレサップ湖は東南アジア最大の湖で、そこには船のように家を浮かべ暮らしている水上村がいくつかあります。

 学校はもちろんのこと、役所、病院、警察、商店、レストラン、そして若者たちが集うビリヤード場まで、ありとあらゆるものが水上に浮かんでいます。

 人々はたくましく暮らし、小さな子供でも自分で船を漕ぎ、自由に移動します。

 2週間の取材期間には、色んな顔見知りの村の人たちができ、言葉も通じないのに手を振り合ったり、時には撮影にまで協力してくれたりと、何とも温かい気持ちで、毎日トンレサップ湖に通いました。

 そしてあんな満天の星空や、真っ赤に染まる朝日まで見せてくれた湖は、この仕事をしているからこそ見られたもので、忘れることのできない体験の連続でした。

 この仕事は、徹夜があるし、時間感覚はめちゃくちゃになるし、肌は荒れるし、眠れないくらい悩み追い詰められるし、「あー苦しい・・・」と涙ながらに思うことばかりなのですが、こんな体験をしてしまうと、やっぱりやめられず苦労したことなんかさっぱり忘れて、そんな体験を求めて、さらなる企画をウキウキと考えてしまいます。

 始まったばかりのディレクター人生ですが、これから先、どんな未知なる世界が待っているのか、どんな体験ができるのか・・・楽しみでなりません。


 

映像の光と影

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戸田有司
(とだゆうじ)
企画推進部部長
制作部プロデューサー



2009年03月02日

 ある時、マスコミに連日取り上げられる重大事件の容疑者の実家へ取材に入った。

 容疑者の母親は、声を潜めるように暮らしていた。最初は、電話で話すことも出来なかったが、足繁く通いつめ、ようやく信用してくれるようになり、家に上がらせてもらえるようになっていた。

 その日も、ひとりで母親の元を訪ねていたが、そこに逃亡を続けていた容疑者逮捕のニュース速報。いち早く聞きつけたワイドショーの取材陣が飛んできた。扉を激しく叩き、名前を大声で連呼する取材者。「息子さんがつかまったんですよ、感想聞かせてくださいよ!」母親が毎日味わってきたのは、これだったのか。

 オウム真理教事件、阪神淡路大震災、がん病棟の密着取材…

 様々な場面で突きつけられてきたのは、「オレは一体何者なんだ?」という問いだ。カメラという武器を無闇に振り回していないか?マスコミという虚像の中で、目に見えぬ「力」に溺れてはいないか?計り知れない映像メディアのパワー。映像は、人を救いもすれば、殺すことも出来るのだ。

 1991年4月からオルタスジャパン。いつの間にか古株のひとりになってしまったが、まだまだ未熟者だと自覚している。

 願わくば《映像の光と影》を見極められる者になりたい。映像の影を知り、光を信じられる者になりたい。


 

ドキュメンタリーを目指す若い方々へ

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星野敏子
(ほしのとしこ)
オルタスジャパン
創立メンバー



2008年1月25日

 「小説より奇なり」の事実の面白さ、作家には書けない「言葉」を吐く、名もない人たち、そういうことと出会ったときの喜びが、私をドキュメンタリーから離れられなくしてきたのかもしれません。

 これまでカメラを向けることを許してくれた人たちによって、いまの私があると思います。

 ただ、無名の人をテレビという公の場に引き出してしまうことは、大きな責任を伴い、発表したために何かその人の身に不都合が起きたときは、全力で責任を取らなければなりません。

 制作者は、その意味で常に謙虚でなければならないのです。

 そして、常に今どういう時代なのかを見つめていること。今を知るには過去を知る必要もあり、単に知識ではなく、大事なことを敏感に感じ取る触覚・感性を磨く努力が大事なのではないでしょうか。

 まず、作る番組に対して愛情をもつこと。たとえ突然振られた番組でも、作る以上は「惚れこんで」自分の心と目線で対象に迫ること。やらされている、という感覚をもつぐらいなら、作り手はやめたほうがいい。

 現場で、心踊らされたり、ともに怒り、または喜ぶことがないと、見てくれる人の心を動かすことは出来ないと思います。

 偉そうなことを書きましたが、これは私自身への自戒でもあります。


 

テレビで視聴者に伝える喜び

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成田広樹
(なりたひろき)
所属:第一制作部



2007年10月18日

 今年の春、ある番組で13人の子を持つ肝っ玉母さんを取材しました。第一子誕生から数えて44年間、華奢な体つきながら子育て一筋で生きてきた64歳の母親は「ただほっとしただけです」とひと言だけ言って涙を流しました。そのときに伝わってきたものは、子育ての苦労と同時に体のそこから湧き上がってくるようなバイタリティーでした。

 普段の生活の中では出会うことのないような人たちに会い、感動を共有できるこの仕事は刺激的です。また取材を通して事の本質や背景が理解できたり、制作した番組が大きな反響を呼んだりしたときなどは、何ともいえない達成感があります。

 これからも取材の中でいろんな人に出会い、勉強し、自分だけにしかできない番組を制作できるようになった時、視聴者がどのように感じてくれるのか知りたいです。


あなたがオルタスジャパンを目指した理由は?

「映像関係に関心があったわけではなかったが、ある時に、時代の病巣を鋭くえぐったドキュメンタリーに感動した。どういうところが作っているのだろうと調べたら、それがオルタスジャパンだった。こういう会社に身を置いてみたい、というのがきっかけでした。 」


 

映画から生き方を学ぶ楽しみ

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池端規恵子
(いけはたきえこ)
所属:第二制作部
映画専門チャンネル(CSスター・チャンネル)/スポット制作担当



2007年9月26日

 入社して2年。私の仕事は、スター・チャンネルで放送される映画の予告CMを作ることです。

 例えば私の好きな作品のひとつでもある「おしゃれ泥棒」(1966年製作/ウィリアム・ワイラー監督、オードリー・ヘプバーン主演)の場合、オードリーの魅力的なカットに、懐かしいテーマソングを入れたり、話の面白さを伝えたりと、この作品の見所や印象的な部分を押さえつつ構成を組み、ナレーションやキャッチコピーを考えていきます。

 40~60秒という短い尺の中でインパクトをいかに与えるか、これがこの仕事の難しさであり、面白さです。

CMは流し見するものですし、既に監督が創り上げたものを再構築していく作業なので、その意図を大事にしながらも、より「見たい」映画として訴えるにはどうしたら良いのか、日々試行錯誤の繰り返しです。

 とはいえ、古い名作から最新のヒット作までたくさんの映画と触れ合う中で、人生の生き方など多くのことを学べる仕事だと思っています。


あなたがオルタスジャパンを目指した理由は?

「大学では映画を勉強したので映像の仕事に関わりたかった。オルタスジャパンで仕事をしていた先輩からスターチャンネルの話を聞いてこれこそ自分の仕事だと思った。いま映画の予告編を作りながら思うことは、人間を相手にしたドキュメンタリーを作ってみたい。」



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