VOICE 4. (スタッフ紹介)

N028 「 私の目ざすもの 」

植田朱里(うえだ あかり)

所属:制作部 ディレクター
オルタスジャパン

『ナパーム弾の少女』『ハゲワシと少女』
私がその地に足を運んだわけでも、写真に写る彼女たちが撮られることを望んだわけではない世界がそこには映されていました。
平成に生まれ、平和な日本で生まれ育った私が、戦争と貧困という知らない世界を知ってしまった写真。同時に“映す”ことの意味を考えさせられた写真。
私はいつからかテレビを見なくなった。芸能人のスキャンダル、面白くない芸人、
誰かのどうでもいい情報ばかりだから。
じゃあなんでこの会社へ来たのか?
“ドキュメンタリーをつくるのに近い”と考えたから。
しかし、半年経って気づいたのはテレビと映画のドキュメンタリーは
違うということ。
同じ“映像”なのにどうしてこんなに違うのか。
もっと自由にディレクターが映したいものがあっていいと思う。
型に当てはめず、その人が面白いと思うものが映れば、もっとテレビは面白くなる。

…そういう人に、私はなりたい。

N027 「忘れたくないもの」

榎本 雪子(えのもと ゆきこ)

所属:制作部 ディレクター
オルタスジャパン

入社当初、ビクビクしながらディレクターに質問したことがある。
「カメラで撮ることが怖くないんですか?」
私がいちばん聞きたかったこと。
あるディレクターは「何年やっててもこわい」といった。
あるディレクターは「カメラなしでは現場にいけない」といった。
どちらのディレクターも今最前線で活躍している人。

入社して1年経った今、ADとして現場に行っても
未だにカメラで人を撮ることがこわい。
本気で逃げ出したくなるときさえある。
20数年しか生きていない未熟者が
相手が何十年と培ってきた生業を撮らせてもらって 毎日ごはんを食べている。
ましてやそれをテレビという不特定多数の人に向けて発信するという恐ろしさ。
そんなとんでもない仕事が私に勤まるのか…実に不安。
そうまでして何故撮らなければならないのか…未熟ながらに考える。
仕事だから…とカメラを回す人はこの会社にはいない。
そんな環境にいれることがいまの私の誇り。

それでも言葉や表情、指先のささくれの勲章まで
誰かに伝えたいと思える人が居る限りロケにはいきたい。

N025 「覚えていたいこと」

二木 まさ美(ふたつぎ まさみ)

所属:制作部 ディレクター
オルタスジャパン

一番最近携わったのは、「宇宙移住」の実現に向けた番組。その前は情報番組で
夫婦問題や嫁姑問題など、半径500m以内の身の回りの出来事を取材してきました。
宇宙から嫁姑問題、両極端にも思いますが、
どちらも根本に人間の営みがあるという点では同じだと感じています。

どの取材でも毎回たくさんの出会いがあり、取材の中であらゆることを
教わっています。
これは、その体験の一つです。訪問看護の現場を取材した時のこと。
許可をもらい末期ガンの男性の家を訪れました。朗らかな男性です。

何度目かにお邪魔した際、その男性が看護師に対して不満を訴える場面が
ありました。
「元気になりたいから、食事をちゃんと食べて栄養を摂りたい」
ガンに蝕まれた男性の体は、食べ物を沢山食べると痛みが出るため、
食事制限は病院の先生の配慮でした。
しかし本人は、力いっぱいに怒り、生きる意志を訴えていたのです。
ディレクターになったばかりの私は突然のピリピリした空気にオズオズして
いましたが、カメラマンは、その姿をそっと撮ってくれていました。
その場面は、番組の山場の一つになりました。
取材の最後まで、「絶対に長生きしますよ」と強い意志を見せてくれていた
その男性は、オンエアの数日後に息を引き取りました。

「撮らせてくれたんだ」と、私はいつも思います。思い上がりかも知れませんが、
男性は自分の生き様を撮らせてくれたんだと、思っています。

勘の悪い私は、いつも現場で体験しないと、
気づくことができません。
今もオズオズしますし、撮っていいライン、ダメなラインはいつも悩みます。

それでも、撮らせてくれる人がいる。
だから、作れている。
当たり前のことだけど、この仕事を始めた頃に全身で実感させてもらった
この体験を、胸に留めていたいと、いつも思います。

N024「制作会社でドキュメンタリーを作るということ」

宮下瑠偉(みやした るい)

所属:制作部 ディレクター
オルタスジャパン

入社して15年が経つ。終身雇用なんて死語になりつつある時代にしては、
長く勤めている方かもしれない。辞めない理由はとてもシンプルで、
会社に不満が無いからだ。
ここは、“ドキュメンタリー制作に没頭したい”という欲求が叶う場所だ。
ドキュメンタリーやそれに類する仕事しか請け負っていないため、
テレビ局のように全く異なるジャンルの番組に異動させられることがない。

また、昇進して偉くなり会議室にこもることもない。
思う存分、取材で世界各地を飛び回ることができる。
見知らぬ土地を訪れる際の、期待と不安が入り混じったあのヒリヒリするような
高揚感は、東京の空調をきかせたオフィスでは絶対に得られない。
もちろん、良いことばかりでもない。ここでは、「権力と大金」は
どんなに頑張っても手に入らない。
ブランド品を身に付け、他人を自由に動かす快感を得たい人はうちに来てはいけない。

最後に、僕が会社を辞め無い理由をもうひとつ。それは“定年が無い”ことだ。
若手に負けない体力とモチベーション、時代遅れでない技術力があればいつまでも
作り続けられる。実際、70歳をすぎてもディレクターとして活躍する大先輩たちが
ここにはいる。その背中を追いながら、1本でも多くの作品を作り続けることは
僕の目標のひとつでもある。

N022「昔の自分に」

菅原剣士郎(すがはら けんしろう)

所属:制作部 ディレクター
オルタスジャパン

確か小学6年生の頃、「将来の自分」を紙粘土で作る授業があった。完成した「将来の自分」が握りしめていたのは、カチンコとメガホン。夢は、映画監督になることだった。大志を抱いた菅原少年であったが、なぜか実際にカメラを回してみたり、脚本を書いたりする事はなかった。そんな自分に「熱意が足りないのでは」と疑問を感じ、いつしか映画監督の夢は、胸の奥底で小さくなってしまった。

時は流れ、就活の時期。やはり自分の好きな映像の仕事に携わりたいと、映画配給会社など、いわば「コンテンツを売る側の会社」を志望した。しかし、結果は惨敗。今思えば、自分が本当にやりたい事を考える良い機会になったと思う。結局、当初は「大変そう」と敬遠していた、「コンテンツを作る側」の番組制作会社に辿りついた。

いざ入社してみると、やはりというか、上手くいかないことだらけだった。ミスをするたび、心臓が止まりそうになる。悪戦苦闘している姿を過去の僕が見たら、ひどくがっかりするだろう。しかしそんな日々でも、この仕事を辞めようと(本気で)思ったことは不思議とない。この一年、様々な番組に関わらせてもらい、先輩方の仕事ぶりを間近で体験する中で、「やっぱり自らの手で映像を紡ぎ、自分なりの表現をしたい」という想いを、より現実的な目標として抱くようになった。映画監督に憧れていた、かつての自分にも胸を張って見せられるような、そんな番組を作ってやりたい、なんて思うのである。

…という23歳の戯言を将来、僕はどんな思いで読んでいるだろうか。

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