No.26 「目 」

静岡にある私の実家は、鉄板焼きの料理店を営んでいる。

店を開いた祖父は80歳を過ぎた今も現役で、
シェフとして半世紀、カウンターの鉄板に立ち続けている。

番組を納品し終えて帰省した私は、店が混んでいると聞き、
ウェイターとして久々に店に立った。

皿に盛られた料理をお客さまの前に運びながら、
ちらりとカウンターの祖父の姿を見る。

体の運びは少しゆったりとしてきたけれど、
扱う食材や調理道具が少し前とは変わっていて、
研究熱心なところはいまだに続いているのだなと感じた。

この日も無事に全ての料理を提供し終え、
お客さまも満足そうな笑顔で帰っていった。

店がひと段落すると、祖父が決まってすることがある。
それは、厨房の横にある事務室でテレビを見ること。

その日も同じように、リモコンを手にしてチャンネルを選んでいた。
「今日は、いい仕事をした」とひとりごち、

椅子に体を預けて画面を見つめる祖父の目を見て、
その日の私はなんだか背筋が伸びた。

この電波はだれの目にも届く。

遊び疲れて家路に着いた子供にも、ひたむきな職人にも、
ほろ酔いのサラリーマンにも、じっと部屋の中で過ごす人にも。

テレビを付ければ、同じ私たちが作った映像が届く。
それを作るのが自分の仕事なんだと、改めて分かった。

私はこの電波で、まじめで嘘のない物語を届けたい。

まだ1本目のディレクター番組を作り終えたばかりだが、
あまねく市井の人のひとときになるものは、
そういうものでなくてはいけないと今の自分は思った。

そんなことを思いながら、
私はかつて新聞記者だった祖父を見ていた。

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